2014年7月25日金曜日

終わっていく話

外食は、空気感を楽しむこともその目的のひとつに入っていると思う。

ことに自分は一人で外食をすることが多く、その行き先は、料理の味そのものよりも、その店が持つ空気感のようなものによって選択されているような気がする。


「もうすぐつぶれそうな店」はよくわかる。もちろんこれは、私がそういう嗅覚に優れているということでもなんでもなく、以下の三つの情報から、誰でも判別しているものだと思う。

1.料理がそこまで美味しくない
2.かきいれ時なのに席がガラガラ
3.従業員に覇気がない

1.の「料理が美味しくない」のは、やっぱり食べた瞬間にわかる。何だか、美味しいのか美味しくないのかよくわからないような味であることが多いような気がする。それなりに客足がある店は、ファストフードも含めて、そのあたりの方向性が洗練されているように感じる。

2.は言うまでもなし。

3.は、多分これは、バイトの身分の従業員も、何となく自分の勤め先が「ヤバい」のを感じていて、次の職場や身の振り方に思いを馳せながら仕事をしているからなのではないだろうか。どこか上の空で、マニュアルにただ従って時間を消化しているような感覚がある。


この文章の結論を言うと、私はこのような特徴を持つ店に足しげく通う習性がある。
それは昔からずっとだ。

冒頭で、外食は空気感を楽しむ部分があると述べたが、私にとって、上記のような「終わっていく感じ」はとても心休まるものだ。

自分の客としての価値を高めようという打算とは違うと思う。私は勢いに乗っている店のように、全力で自分に対してお仕えして欲しい訳ではない。かといって、自分主導で、客として何か店の方針に従わされるような感覚を味わいたい訳でもない。

風化していく雰囲気というものは、実に機械的で落ち着く。従業員が何かしらやりがいを感じているような雰囲気の店は、熱中症におかされたように、気持ち悪くなって、身体の力が抜け、食欲を衰退させる。


私は虚空を噛み締めたい。白い灰が舞うような乾いた空気の中、ただそこにあるだけの自分の心を感じていたい。

かくして、私は「行きつけの店」を、大体ひと月ごとに変えるはめになる。終わりかけの店、終幕に向かう予兆、私はまるで自分の体内にいるかのように、穏やかな気持ちで食事を楽しむことができる。