往々にして思うのは、人は何かを思考するとき、要素ごとに細分化して思考することがあるなーということで、これこそが人間が、公平性を持って何かの物事を見ることができる数少ない方法のひとつだと最近思うようになった。
ここしばらくでいろいろと、小さいながらも出来事があった。
まずひとつは、自身の周囲でなされている評価と、それに対しての立ち回り、そしてその立ち回りへの論理性を脳で自動的に折衷して、本人もその自覚がないかのような自意識に遭遇したこと、そしてとある人が、創作者の、創作物に評価を受けることと、その人の人格への評価をごっちゃにしている要素を痛烈に指摘していたことだった。
人間というのは最終的には一つの個体に帰結するが、その帰結する前の要素については多くのものがあると思う。例えばそれが好きか嫌いかとか、正義か悪かとか、社会上の通念に即しているかとか、色々あると思うし、最終的に人間がひとつの行動をすることになったとして、それを理解し人と人とが付き合うためには数多くの要素についてそれぞれ考察し分析し自分なりの答えを出すことが、成熟した大人の付き合い方なのではないかと考える。
自分などまだ子供だと思ってしまう自分がいる。何せ少し前(自分の感覚の中では)までは子供だったのだから、そのときの意識を今も引きずっている。当時触れていた作品やものは、今でも懐かしいと思うし、当時感じていたことが延々と思い出される。
まあそれはさておくとして、思考するにあたって、物事の要素を細分化してそれぞれ考えていく動きは、とてもエネルギーがいるものだな、ということが最終的には言いたかった。私など、大体が直感を信じて生きているし、直感なんてものは、自分が自分の意識の中ですべき分析行動を脳みそに丸投げしている状態なので、悪く言えばかなり無責任な思考と考えることもできると思う。
例えばAさんが嫌い、と直感で思ったとして、しかし何故その人が嫌いなのかと考えたとき、それはひとつの要素が決め手になっていることが多いのではないかと思う。それはまあ以前に受けた恥ずかしめとか、口臭が我慢ならないとか、基本的な行動理念とか、色々あるだろう。ただ、それが、社会的な要素によってそう「考えさせられている」場合もあると、私は思う。それはいじめを発現させるひとつの要素である。
人は大人になって、社会性を身につける。当然守るべきマナーは当然のように守られていくし、そのように成長し、やがて社会を構成するひとりとなる。社会性とは、たくさんの人とつながっていくこととそう変わらないと思う。そしてその中で、社会性を踏まえた立ち回りを自然と習得していく。習得できない者は疎外される。
近づいてはいけない人間というものが生まれる。それは疎外された人間であり、危険因子である。危険因子は、「当然守るべきマナー」の中で、「とってはいけない思考」をする人間である。そういった人間に生理的嫌悪感を抱くようになったとき、人は大人になるのかもしれないと思った。これが、今日言いたかった大枠のひとつ。
もうひとつは……先ほども少し出したが、自分が残した業績、作品と、その大本となった人間の人格についてだ。自分が何か大きなことをしたということ、もしくはすばらしい作品を生み出したこと、その評価に対して、自分の人格が優れていると誤認し、人格者として振る舞うことは、(これはある人の意見の引用を含んでいるが)かなり滑稽だ。押し付けがましい。何か強大な力に操られる手先のようで、ぺらぺらだ。そして、自分もそうなりそうで怖い。
ここまで書いて、まだこのことは私の頭の中でよく整理されておらず、文章に落とし込むの尚早だと思い始めた。ただここから思うのは、物事をひとつひとつ細分化してそれぞれ評価する思考は、確実に人を死に近づけるということだった。分析しすぎる思考には、何だか荒廃した世界に吹くような乾いた風を感じた。人生は何も面白くないのだと悟ってしまいそうだ。
あまり考えをめぐらすことは辞めた方がいいのかもしれない。私は、よくアニメを見る人たちが言っている、「何も考えずに見られるものが良い」という言葉の意味が、段々理解できるような気になって来た。頭を空っぽにする瞬間は必要だ。人生は夢幻のごとくなり。冷静に考えて、何も楽しいことなどない。常に冷静に考えていては、生きてはいけない。
2014年2月24日月曜日
GE2漫画描くぞプロジェクト 6週目
また1ページだけ進めました。
もう1ページの進行でいい気がしてきた(薄弱)。
とりあえず感じたことは特に無いですが、FireAlpacaとSAIを連携することが現状ではベストのように思えた。
FireAlpacaは優秀な機能がたくさんついているが、やはりSAIの筆ツールの使い勝手は他には代えがたいものがあると感じた。当分、2ツール感を行き来しながら作業を進めていくことになると思う。
これ以外に、FireAlpacaでの落書きと、鉛筆絵を少し練習し始めた。鉛筆の絵は、絵を描くことがどれだけ手軽で難しいか、その原点を教えてくれるような気がして、とても新鮮な体験で楽しい。
コンピュータで描くことと比べて、鉛筆絵は、補助的なツールにおいて、はるかに多くの画材を必要とするような気がする。鉛筆絵を描くにしても、やはり練り消しと、いくつかの種類の濃度の鉛筆は必要だし、(本当は色鉛筆用のツールだと思うが)ブレンダーを使うと更に色々と効果が出て楽しい。
FireAlpacaで今日落書きをしていて思ったのは、自分のイメージをPC画面に落とすことについて、ずいぶんと怖さがなくなってきたなと思うことだった。今までの自分の人生の色々な体験を考えると、どうにも自分には、何か物事について自分の、なんと表現したらいいのかがわからない部分があるが、意思に基づいた第一歩を踏み出す時、自分がやろうとしていることの全貌を理解するまでは一歩踏み出せない性質があるように思えた。絵の密度を増やしていくことに対する怯えは、まさにそこから来ていると思う。それが解消されてきたということは、私の、これからの可能性を示唆するものだと考えていいと思っている。
私はかつて、ポケモンをプレイしている時(当時小学生)、自分にはミュウツーまで辿り着き、ゲットすることは無理だとこころのどこかで諦めていた。しかし、弟はそれを自然に克服し、ハナダのどうくつをクリアするのは、私よりも速かった。そのことは、実は私の心に深く残っている。
そもそもが不器用なんだと感じた。だから、ようやく私は一歩を踏みだそうとしているような気がする。私はもっと積極的になるべきだし、もっと自分に自信を持つべきなのだと思った。
絵は、色々なことを教えてくれる。クオリティの面では全然だが、私が人生を送る上で、絵を描くことが私にくれた恩恵は大きい。
また、最近は無気力を解消するために、映画をレンタルして見ることが多い。そのときにも感じたのだが、私は新しいものを自分の中に取り入れることに抵抗を感じる部分が多いようだ。いつまでも同じものを愛でていたい特質があるようだった。私はこの、「映画を見る」ということを通して、少しでも、自分の魂を外に開いていきたい。そして将来的には、アニメを、習慣的に見られるような体になりたい。
とりあえず今日は以上である。
ライフスタイルを、漫画の完成のみにするのではなく、漫画制作を並行的に行うことで、より重厚にするという方向に転換していきたい(決して逃げではないよ!(逃げかも知れないが))。
もう1ページの進行でいい気がしてきた(薄弱)。
とりあえず感じたことは特に無いですが、FireAlpacaとSAIを連携することが現状ではベストのように思えた。
FireAlpacaは優秀な機能がたくさんついているが、やはりSAIの筆ツールの使い勝手は他には代えがたいものがあると感じた。当分、2ツール感を行き来しながら作業を進めていくことになると思う。
これ以外に、FireAlpacaでの落書きと、鉛筆絵を少し練習し始めた。鉛筆の絵は、絵を描くことがどれだけ手軽で難しいか、その原点を教えてくれるような気がして、とても新鮮な体験で楽しい。
コンピュータで描くことと比べて、鉛筆絵は、補助的なツールにおいて、はるかに多くの画材を必要とするような気がする。鉛筆絵を描くにしても、やはり練り消しと、いくつかの種類の濃度の鉛筆は必要だし、(本当は色鉛筆用のツールだと思うが)ブレンダーを使うと更に色々と効果が出て楽しい。
FireAlpacaで今日落書きをしていて思ったのは、自分のイメージをPC画面に落とすことについて、ずいぶんと怖さがなくなってきたなと思うことだった。今までの自分の人生の色々な体験を考えると、どうにも自分には、何か物事について自分の、なんと表現したらいいのかがわからない部分があるが、意思に基づいた第一歩を踏み出す時、自分がやろうとしていることの全貌を理解するまでは一歩踏み出せない性質があるように思えた。絵の密度を増やしていくことに対する怯えは、まさにそこから来ていると思う。それが解消されてきたということは、私の、これからの可能性を示唆するものだと考えていいと思っている。
私はかつて、ポケモンをプレイしている時(当時小学生)、自分にはミュウツーまで辿り着き、ゲットすることは無理だとこころのどこかで諦めていた。しかし、弟はそれを自然に克服し、ハナダのどうくつをクリアするのは、私よりも速かった。そのことは、実は私の心に深く残っている。
そもそもが不器用なんだと感じた。だから、ようやく私は一歩を踏みだそうとしているような気がする。私はもっと積極的になるべきだし、もっと自分に自信を持つべきなのだと思った。
絵は、色々なことを教えてくれる。クオリティの面では全然だが、私が人生を送る上で、絵を描くことが私にくれた恩恵は大きい。
また、最近は無気力を解消するために、映画をレンタルして見ることが多い。そのときにも感じたのだが、私は新しいものを自分の中に取り入れることに抵抗を感じる部分が多いようだ。いつまでも同じものを愛でていたい特質があるようだった。私はこの、「映画を見る」ということを通して、少しでも、自分の魂を外に開いていきたい。そして将来的には、アニメを、習慣的に見られるような体になりたい。
とりあえず今日は以上である。
ライフスタイルを、漫画の完成のみにするのではなく、漫画制作を並行的に行うことで、より重厚にするという方向に転換していきたい(決して逃げではないよ!(逃げかも知れないが))。
2014年2月16日日曜日
GE2漫画描くぞプロジェクト・5週目
残念ながら1ページも進んでいない。
順調にモチベーションは下がってきている。
生活そのものが荒んできている。毎日妙な寂しさに心が侵食されているし、何をする気もおきない。しなければならないことはたくさん積まれているが、それをするための精神エネルギーがゴッソリ枯渇してしまっている。
そろそろ「反転」があってもおかしくないと思う。躁状態になって一気に筆を進めて、生活もしっかりとメリハリのつくものにしたい。しかし、どうしてもそのようにできない。歯車は噛み合っていない。
ただ、絵自体には動きはあった。ツールを変えようという決断をした。本格的に作業をFireAlpacaですることにした。
理由は、文字入れツールが存在し、1つのツールで全てが完結すること、またラフが描きやすいこと、パース定規が存在すること等、色々と考えた結果、もうコレ以上SAIを使う意味が、自分にはないと考えたからだ。そして、そうしたことで、多少の作画への影響があるかと思う。
また、少し思い立って、アナログ用の鉛筆を購入してみた。やはり予想以上に鉛筆での作画は難しく、キャラを1体描くだけで、すさまじいエネルギーを消耗すると同時に、自分はアナログでは本当に何にもできないと知った。それがまあ、それなりにスランプ?に突入していく結果なのかもしれない。
情けない話だが、一人暮らしの部屋で、友達も存在せず、作画の作業をしてもほとんど反応が実感できない状況だと感じてしまい、「自分がこんな作業を一笑懸命して何の意味があるのか」ということを痛切に考えてしまう自分がいる。そもそも絵は自分の趣味のため、楽しみのためにやっているはずなのに、「こんなことをしても所詮は無駄なのだ」という思いが、つねに私の足を後ろへ後ろへと引っ張っていく。
ぶっちゃけた話、私の、絵描きとしての人脈(とまで言えるレベルではないが)と、人気といったものは、そういったワードが泣いてしまうほど希薄で、イベントに出店したところで、売れる本は知り合いを除けば1~2部、そのために何ヶ月もしんどい思いをして(もちろんしんどいだけではないが…)、多額の金を支払って、本を作成することそのものへの意味が、私の中で感じられない。「そういったことをする」ことがそもそも意味があると考えてきたが、色々とうまくいかない状況下では、どうしてもそういうことを考えてしまうのだ。
とはいえ、既に申し込みは済ませてしまったので、あとはやるしかない。正直、やるしかないことが唯一の救いである。今このようにして何かを成し遂げようとすることそのものが、意味があるといえるのかどうか、もう私にはわからないが、とりあえずやろうと思う。自分の心の中にある、キャラクターやゲームへの愛にだけは、真摯に、真摯にやっていきたい。吹けば消えてしまうほどの小さな炎だが、薪をくべて、うちわで仰いで、風を遮って、ゆっくり、ゆっくりと育てていきたいのだ。
これが消えてしまえば、私が生きている意味がなくなりかねないのだから。
順調にモチベーションは下がってきている。
生活そのものが荒んできている。毎日妙な寂しさに心が侵食されているし、何をする気もおきない。しなければならないことはたくさん積まれているが、それをするための精神エネルギーがゴッソリ枯渇してしまっている。
そろそろ「反転」があってもおかしくないと思う。躁状態になって一気に筆を進めて、生活もしっかりとメリハリのつくものにしたい。しかし、どうしてもそのようにできない。歯車は噛み合っていない。
ただ、絵自体には動きはあった。ツールを変えようという決断をした。本格的に作業をFireAlpacaですることにした。
理由は、文字入れツールが存在し、1つのツールで全てが完結すること、またラフが描きやすいこと、パース定規が存在すること等、色々と考えた結果、もうコレ以上SAIを使う意味が、自分にはないと考えたからだ。そして、そうしたことで、多少の作画への影響があるかと思う。
また、少し思い立って、アナログ用の鉛筆を購入してみた。やはり予想以上に鉛筆での作画は難しく、キャラを1体描くだけで、すさまじいエネルギーを消耗すると同時に、自分はアナログでは本当に何にもできないと知った。それがまあ、それなりにスランプ?に突入していく結果なのかもしれない。
情けない話だが、一人暮らしの部屋で、友達も存在せず、作画の作業をしてもほとんど反応が実感できない状況だと感じてしまい、「自分がこんな作業を一笑懸命して何の意味があるのか」ということを痛切に考えてしまう自分がいる。そもそも絵は自分の趣味のため、楽しみのためにやっているはずなのに、「こんなことをしても所詮は無駄なのだ」という思いが、つねに私の足を後ろへ後ろへと引っ張っていく。
ぶっちゃけた話、私の、絵描きとしての人脈(とまで言えるレベルではないが)と、人気といったものは、そういったワードが泣いてしまうほど希薄で、イベントに出店したところで、売れる本は知り合いを除けば1~2部、そのために何ヶ月もしんどい思いをして(もちろんしんどいだけではないが…)、多額の金を支払って、本を作成することそのものへの意味が、私の中で感じられない。「そういったことをする」ことがそもそも意味があると考えてきたが、色々とうまくいかない状況下では、どうしてもそういうことを考えてしまうのだ。
とはいえ、既に申し込みは済ませてしまったので、あとはやるしかない。正直、やるしかないことが唯一の救いである。今このようにして何かを成し遂げようとすることそのものが、意味があるといえるのかどうか、もう私にはわからないが、とりあえずやろうと思う。自分の心の中にある、キャラクターやゲームへの愛にだけは、真摯に、真摯にやっていきたい。吹けば消えてしまうほどの小さな炎だが、薪をくべて、うちわで仰いで、風を遮って、ゆっくり、ゆっくりと育てていきたいのだ。
これが消えてしまえば、私が生きている意味がなくなりかねないのだから。
2014年2月10日月曜日
GE2漫画描くぞプロジェクト・4週目
今週もまた1ページしか進まなかった。
正直、モチベーションはかなり苦しいところまで来ている。
しかし、それなりに、感覚的なところで成果は感じる。それこそトレーニングの成果っぽい感じで。
何かものを描く上でのエイヤー感はかなり鍛えられているような気がする。何だか産廃をいっぱい生み出してしまいそうだが、結局、うまくなるには描きまくるしかないわけで、長期的な視点で見れば、それはきっといいことだと言えるんだと思う。
整合性云々はまあ、とりあえずさておこうという覚悟ができた。どうせ今ある実力の絵しか描けないのだ。勢いというものも大事だ。そう思えるようになった。
あと、ついにC86への申し込み手続きが完了した。
正直、カットを描くのは、前代未聞で楽だった。モノクロと、あと身体の一部分のみを描画することへの「慣れ」はかなりのところまで来ている。もうこのジャンルで申し込んでしまったし、あとはやるだけである。
気づいたところを2点だけ上げておこうと思う。
・金属の描き方は、ベタと白ハイライト
当たり前だが、金属は強く光を反射するので、コントラストを高く描くとそれっぽくなる。で、それにはハイライトとベタを用いるのが最良だと私は思うのだが、これをもう少し突き詰めると、他の素材で、白と黒ベタで陰影をつけるのが正しいのかどうかという考えに進んでくる。
正直、あまり好きではない。白飛びして何かよくわからなくなるし、だからこそ、細部がごまかされて描く側に有利という大きな魅力があるが、果たしてそれをすべきなのか? 私はそれを気にする必要があるほどのレベルには到底達していないが、そのことを考えながら描いていくことは良いことだと思う。
・線を太くするか?
これはイラストの時から気になっていたが、私はキャラの線は細く、背景の線は太くなってしまう性質がある。これは単純に描いた数の量が影響していると思うのだが、今の状態はあまりよくないように思える。細い線はウェイトに欠け、視認性が欠如しているから、漫画として描かれる絵としてはあまり良いものに思えない。そして、背景の線を細くしようとすると、現段階ではもう一手間がどうしても必要になる。
総合して考えた結果、私は、これからは少しずつキャラの線を太く描いたほうが良い、と思った。もっと言うなら、イラスト時にも、実はその線の太さは欲しい。私は、もっと自信を持って線を引くように意識し、また引けるような力を自分の中で醸成すべきだ。
以上である。
ちなみに、最近FireAlpacaを本格的に使い出した。主に落書きだけだが、これがなかなか落書きに適していて楽しい。また、こちらのツールで描くと、基本的に線を最後に確定させる、いわゆる厚塗り的な手順になるため、漫画の作画をしながら、息抜きに落書きをすることができる。
FireAlpacaの良いところは、Photoshopやdrawrである、「段階的な鉛筆ブラシ」が使えるところにあると思う。つまり、半透明で描いた時に下の色が全くにじまない書き味のことを指すが、このブラシが私はとても好きで、とても描きやすいと思っている。コントロールもし易いし、何より、とても論理的に作画できる。そして手軽なパース定規も、私にとっては魅力的なツールである。
これと、sai的な「下が混ざるブラシ」を持ち、更にシンプルで軽い。そしてMacでも使える。大変魅力的なツールだと思う。今はまだショートカットキーに慣れているところで、簡単なものしか描けていないが、そのうちちゃんとした完成品もアップ出来たらと思う。
なお、ゲームそのものに関してだが、こちらもそれなりに上達しているように思う。というか、もしかしたらこのブログでゲームのプレイ記録に言及するのは初めてかもしれない。
私は基本的にハンマー/スナイパーの形態と、スピア/ブラストの形態を併用し、ステージによって使い分けている。どちらもダメージソースはガンモードで、スナイパーはアルバ長距離弾、ブラストはメテオ弾、抗重力弾を利用した高火力弾で主にダメージを稼いでいる。
簡単に現在のプレイ記録を説明すると、現在、
難易度10でパフェ2つ、ノーアイテム10個、
難易度9でパフェ1つ、ノーアイテム7個、
難易度8でパフェ3つ、ノーアイテム18個、
DLCでノーアイテム11個
といった具合である。
またこちらのほうも、機会があったら記事にしていきたい。
今回は以上である。また次回の記事もよろしくお願いしたいです。
正直、モチベーションはかなり苦しいところまで来ている。
しかし、それなりに、感覚的なところで成果は感じる。それこそトレーニングの成果っぽい感じで。
何かものを描く上でのエイヤー感はかなり鍛えられているような気がする。何だか産廃をいっぱい生み出してしまいそうだが、結局、うまくなるには描きまくるしかないわけで、長期的な視点で見れば、それはきっといいことだと言えるんだと思う。
整合性云々はまあ、とりあえずさておこうという覚悟ができた。どうせ今ある実力の絵しか描けないのだ。勢いというものも大事だ。そう思えるようになった。
あと、ついにC86への申し込み手続きが完了した。
正直、カットを描くのは、前代未聞で楽だった。モノクロと、あと身体の一部分のみを描画することへの「慣れ」はかなりのところまで来ている。もうこのジャンルで申し込んでしまったし、あとはやるだけである。
気づいたところを2点だけ上げておこうと思う。
・金属の描き方は、ベタと白ハイライト
当たり前だが、金属は強く光を反射するので、コントラストを高く描くとそれっぽくなる。で、それにはハイライトとベタを用いるのが最良だと私は思うのだが、これをもう少し突き詰めると、他の素材で、白と黒ベタで陰影をつけるのが正しいのかどうかという考えに進んでくる。
正直、あまり好きではない。白飛びして何かよくわからなくなるし、だからこそ、細部がごまかされて描く側に有利という大きな魅力があるが、果たしてそれをすべきなのか? 私はそれを気にする必要があるほどのレベルには到底達していないが、そのことを考えながら描いていくことは良いことだと思う。
・線を太くするか?
これはイラストの時から気になっていたが、私はキャラの線は細く、背景の線は太くなってしまう性質がある。これは単純に描いた数の量が影響していると思うのだが、今の状態はあまりよくないように思える。細い線はウェイトに欠け、視認性が欠如しているから、漫画として描かれる絵としてはあまり良いものに思えない。そして、背景の線を細くしようとすると、現段階ではもう一手間がどうしても必要になる。
総合して考えた結果、私は、これからは少しずつキャラの線を太く描いたほうが良い、と思った。もっと言うなら、イラスト時にも、実はその線の太さは欲しい。私は、もっと自信を持って線を引くように意識し、また引けるような力を自分の中で醸成すべきだ。
以上である。
ちなみに、最近FireAlpacaを本格的に使い出した。主に落書きだけだが、これがなかなか落書きに適していて楽しい。また、こちらのツールで描くと、基本的に線を最後に確定させる、いわゆる厚塗り的な手順になるため、漫画の作画をしながら、息抜きに落書きをすることができる。
FireAlpacaの良いところは、Photoshopやdrawrである、「段階的な鉛筆ブラシ」が使えるところにあると思う。つまり、半透明で描いた時に下の色が全くにじまない書き味のことを指すが、このブラシが私はとても好きで、とても描きやすいと思っている。コントロールもし易いし、何より、とても論理的に作画できる。そして手軽なパース定規も、私にとっては魅力的なツールである。
これと、sai的な「下が混ざるブラシ」を持ち、更にシンプルで軽い。そしてMacでも使える。大変魅力的なツールだと思う。今はまだショートカットキーに慣れているところで、簡単なものしか描けていないが、そのうちちゃんとした完成品もアップ出来たらと思う。
なお、ゲームそのものに関してだが、こちらもそれなりに上達しているように思う。というか、もしかしたらこのブログでゲームのプレイ記録に言及するのは初めてかもしれない。
私は基本的にハンマー/スナイパーの形態と、スピア/ブラストの形態を併用し、ステージによって使い分けている。どちらもダメージソースはガンモードで、スナイパーはアルバ長距離弾、ブラストはメテオ弾、抗重力弾を利用した高火力弾で主にダメージを稼いでいる。
簡単に現在のプレイ記録を説明すると、現在、
難易度10でパフェ2つ、ノーアイテム10個、
難易度9でパフェ1つ、ノーアイテム7個、
難易度8でパフェ3つ、ノーアイテム18個、
DLCでノーアイテム11個
といった具合である。
またこちらのほうも、機会があったら記事にしていきたい。
今回は以上である。また次回の記事もよろしくお願いしたいです。
2014年2月3日月曜日
GE2漫画描くぞプロジェクト・3週目
今週は1ページしか進めていない。
なかなかキテるな、と思ってしまった。
次週はこのようなことがないよう、しっかりとやっていきたい。
当然、感じたことも少ない。
右のようなイラストの他に、楽描きをちょろちょろやっていたが、正直そんなことをしているヒマはなかったと思っている。
ちなみに、右のイラストの人間、性別は男である(ショタと美少女の描き分けができない)。
背景に対しての苦手意識はだいぶ払拭されたように思う。実は、イラストで背景を想像だけで描こうとしてみた。それなりに描けた。まあ、整合性がぐしゃぐしゃで、結局前消しすることになってしまったが。また、キャラクターも、より流れにそって描けるようになった。全体の作画時間は短縮されたが、細部を犠牲にしているため、これがイラストを描く上でいいことなのかはわからない。
しかし、確実に「絵を描くこと」を、自分の自然な行為として身体に染み込ませることに、成功しているようにも感じる。
・キャラの厚みが足りない
今回気づいたのはこの点のみ。
基本的に、私の線は細い。一本の線で主張するよりも、細い線を何本も積み重ねて描画していくタイプだと思う。が、それが、イラストでは塗りでカバーできたが、漫画では、キャラクターが嫌に希薄に見える結果を招いているように思う。これについては、やはりキャラの作画の色々なところにベタを入れ、キャラに「厚み」を持たせるのがいいのだと思うが、だがベタを使いすぎるとなんだか視認性が悪くなるような気がして、ここのところをどうするか、考えながら今後作画していきたい。
以上。だいぶ作業はマンネリ化してきて、苦しい時期に突入してきてると思う。一応ブログは書こうと思っていたが、正直書き始めのときに、今週の怠慢を後悔した。この気持ちを忘れず、来週は心を引き締め、確実にノルマの3ページをこなしたい。
なかなかキテるな、と思ってしまった。
次週はこのようなことがないよう、しっかりとやっていきたい。
当然、感じたことも少ない。
右のようなイラストの他に、楽描きをちょろちょろやっていたが、正直そんなことをしているヒマはなかったと思っている。
ちなみに、右のイラストの人間、性別は男である(ショタと美少女の描き分けができない)。
背景に対しての苦手意識はだいぶ払拭されたように思う。実は、イラストで背景を想像だけで描こうとしてみた。それなりに描けた。まあ、整合性がぐしゃぐしゃで、結局前消しすることになってしまったが。また、キャラクターも、より流れにそって描けるようになった。全体の作画時間は短縮されたが、細部を犠牲にしているため、これがイラストを描く上でいいことなのかはわからない。
しかし、確実に「絵を描くこと」を、自分の自然な行為として身体に染み込ませることに、成功しているようにも感じる。
・キャラの厚みが足りない
今回気づいたのはこの点のみ。
基本的に、私の線は細い。一本の線で主張するよりも、細い線を何本も積み重ねて描画していくタイプだと思う。が、それが、イラストでは塗りでカバーできたが、漫画では、キャラクターが嫌に希薄に見える結果を招いているように思う。これについては、やはりキャラの作画の色々なところにベタを入れ、キャラに「厚み」を持たせるのがいいのだと思うが、だがベタを使いすぎるとなんだか視認性が悪くなるような気がして、ここのところをどうするか、考えながら今後作画していきたい。
以上。だいぶ作業はマンネリ化してきて、苦しい時期に突入してきてると思う。一応ブログは書こうと思っていたが、正直書き始めのときに、今週の怠慢を後悔した。この気持ちを忘れず、来週は心を引き締め、確実にノルマの3ページをこなしたい。
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