2014年7月28日月曜日

コミックマーケット86への出展について

8月15日、C86の1日目に出展します。

内容は…半年くらい前まで、頑張って記事を更新しておきながらぱったりやんでしまった「GE2」の漫画です。本文は一応26ページあります。全年齢です。

スペースは、S-51a "illust_fumyuu"です。

内容は、エリナと主人公の関係を描いたものになっています。内容については、直接会場まで足をお運びいただけると幸いです。



以前の記事でもお話していたとおり、今回は、漫画が描けないという状態を克服するために計画したことでした。当初の計画から大きくオーバーし、半年もの月日を注ぐことになってしまいましたが、それでも、得たものは大きかったと思っています。

まず、漫画特有のモノクロ絵について、自分のものになったと思えるほど、「慣れ」が生じたこと、また、「身体の一部分を描写する」ことに慣れたことも大きいです。また、背景についても、未熟ながら何枚も描くことになったため、それなりに「慣れ」が生じた感覚もあります。漫画における背景描写は、本当に難しいものがあると思います。これを安定して作画することができたら、もう作画面で何も怖いものはなく、安心してお話作りに注力できるのでしょう。


恐らくそれほど売れないと思うので、持ち運びも考えた極小部数しか刷りませんので、できれば完売を目指せたらなあと思います。二次創作での出展は実は今回が初めてなので、どれだけ私の作品に興味を持っていただけるか、正直自信のないところではあるのですが(エロでもないし…)、とりあえず今回もそれなりに達成感はあるので、そこそこの自信をもって、本をおすすめしていけたらなと思っています。


なお、前作である「アラン・スミシー」も持って行こうと思います。
これについてはオリジナルのイラスト集であり、1年前のコミティア用に作成した宣伝用のページが存在します。イラスト集でありながら、全体でひとつの「おはなし」が構成されているという、私のサークルの基本(にしようとしている)となる作品だと思っています。こちらも興味がありましたら併せてぜひ。在庫がいっぱいありますので(小声)。そっと隅に置いておこうと思います。


それでは当日、縁がありましたらよろしくお願い致します。


2014年7月26日土曜日

マール王国の人形姫・プレイ感想+α

表題のゲームを、アーカイブズを利用して再度プレイしてみた。

このゲームは多分小学生くらいのときにプレイしたいなと思って当時はできなくて、また少し経ってからPSPか何かでプレイして、そのときはラストのマージョリー一家がどうしても倒せなくて積んでしまった記憶がある。

今回は、計画的に育成し、ナイトスポーノを早い段階から取得し育て、他の2人形についても、シャルテを固定し、最後のひとりのアルバトロスについても比較的早い段階からパーティに入れたことで、安定して全てのボスをひねれた。終盤はぬるいくらいで作業感すらあった。

以前やってて詰まったのはPSP版で、そのときはアーカイブスで配布されてる最初期のPS版とは少し違う戦闘システムだったような記憶があるのだが、PSPはディスクがどこかに消えてしまったので(管理能力がない)、確かめることができなかった…が、育成のミスは、多分、パーティメンバーをコロコロ変え、最終的にレベル不足になっていたことだったような気がするので、今回のプレイではそれを気をつけ、安定してクリアできたというわけだ。

攻略も見ながら、結構な数の人形を天国に送ったが、テラとフレールとカエルは解放せずに終わった。別に頑張れば解放は出来るし、頑張ろうかと思ったが、どうしても通常プレイの流れの他にレベリングするのがめんどくさくて、まあいいやと思ってやめた。


ドット絵と柔らかな背景と、それらが構成する世界観、ミニマムだが完成度の高いシナリオから、やはり良作であると思った。現在、継続して2をプレイしている。3についてはアーカイブズ配信はないが、どこかでPS2のソフトをゲットして来て、ぜひ3部作全てをコンプしたいと思っている。ただ、3はシェリーの話らしいので、正直ためらうのも事実だが…(鬱ENDとわかっていると少しためらってしまう)。

日本一ソフトウェアのソフトはラ・ピュセルで知った。世界観やシステムが楽しく、しかし戦闘がシビアで、これもラスダンで投げたような記憶がある。どうしてもやりこむようなゲームを最後まで頑張れないので、ディスガイアはずっと忌避していたのだが、3rに少しだけ興味が出てきたので、もしかしたらそちらに、早々に浮気をするかもしれない。


最近、「描かれた背景の中をキャラクターが動く」タイプの、一昔前のゲームのグラにどこかかけがえのないものを感じ、積極的にプレイしている。私が昔自然と好きで、今見失っているものを、そこから再発見できるかもしれない。そんな思いから、私は今、「少し昔のゲーム」を漁る日々を送っている(ディスガイアは「最近のゲーム」だが、そのコンセプトとしては、自分が求めるものと大差ないものがまだ残っているように感じる)。

2014年7月25日金曜日

終わっていく話

外食は、空気感を楽しむこともその目的のひとつに入っていると思う。

ことに自分は一人で外食をすることが多く、その行き先は、料理の味そのものよりも、その店が持つ空気感のようなものによって選択されているような気がする。


「もうすぐつぶれそうな店」はよくわかる。もちろんこれは、私がそういう嗅覚に優れているということでもなんでもなく、以下の三つの情報から、誰でも判別しているものだと思う。

1.料理がそこまで美味しくない
2.かきいれ時なのに席がガラガラ
3.従業員に覇気がない

1.の「料理が美味しくない」のは、やっぱり食べた瞬間にわかる。何だか、美味しいのか美味しくないのかよくわからないような味であることが多いような気がする。それなりに客足がある店は、ファストフードも含めて、そのあたりの方向性が洗練されているように感じる。

2.は言うまでもなし。

3.は、多分これは、バイトの身分の従業員も、何となく自分の勤め先が「ヤバい」のを感じていて、次の職場や身の振り方に思いを馳せながら仕事をしているからなのではないだろうか。どこか上の空で、マニュアルにただ従って時間を消化しているような感覚がある。


この文章の結論を言うと、私はこのような特徴を持つ店に足しげく通う習性がある。
それは昔からずっとだ。

冒頭で、外食は空気感を楽しむ部分があると述べたが、私にとって、上記のような「終わっていく感じ」はとても心休まるものだ。

自分の客としての価値を高めようという打算とは違うと思う。私は勢いに乗っている店のように、全力で自分に対してお仕えして欲しい訳ではない。かといって、自分主導で、客として何か店の方針に従わされるような感覚を味わいたい訳でもない。

風化していく雰囲気というものは、実に機械的で落ち着く。従業員が何かしらやりがいを感じているような雰囲気の店は、熱中症におかされたように、気持ち悪くなって、身体の力が抜け、食欲を衰退させる。


私は虚空を噛み締めたい。白い灰が舞うような乾いた空気の中、ただそこにあるだけの自分の心を感じていたい。

かくして、私は「行きつけの店」を、大体ひと月ごとに変えるはめになる。終わりかけの店、終幕に向かう予兆、私はまるで自分の体内にいるかのように、穏やかな気持ちで食事を楽しむことができる。