2015年5月10日日曜日

散文-これからのささやかな夢について

 ずっと、自分がイラストを描くことについてなんだか方向性が定まらないような感覚があった。上手くなりたいというのは継続してあるけど、だからといってプロで文句なしバリバリやれるような超絶技巧やコネもないし、営業も苦手だし、またそこまでの覚悟もないし、なんだかなあという思いを抱えながらも、漠然としたアイデンティティを求めて絵を描き続ける日々だった。続ける、というか、あまり真剣に描いてない時期もあったような気がするが、それでもなんとなくダラダラと続けてこられた。それなりに時間も経ち、それなりに年も食った。
 プロを本気で目指すのも無謀、というか、なんだか汚い世界に足を踏み入れざるを得ない状況に陥らせられそうで、それも何だか、自分の心の綺麗な部分が何か世俗的なものに侵食させられていきそうな感覚があって、心の中で辟易してきた部分があった。自分には、何か自分の内面性の部分を、まだ完全に世界に対してオープンにできるような心の芯の強さというか、そういうものがない、常に私は自分の中の何かを、世界に対して隠し続けてきた。だから何だか開き直った営業も私には無理だし、それを続けていけるエネルギーのようなものが全く湧いてこない。絵をたくさんの人に見てもらうとかそういう段になったときに、この特性は多分マイナスにしかならない。

 自分が絵とどのように向き合っていくかをそろそろ考えなければならないんだろうなあと漠然と思い続けてきた。自分にとって絵を描くこととは何なのか、自分は絵を描いて何をしたいのか、それを考えなくてはこれから生きて行くことができない。幸いなのか、不幸なのか、私にはそれをある程度考えることのできる余裕と、また考えることを要求される技術の未熟性がある。

 最近のささやかな夢として、「同人で何かを発表するためのお金を自分の絵で稼ぐ」というのは、私にとってかなり妥当な ——この表現が本当にいい得て妙で驚く——目標、というか夢のように感じた。遊びの手段と、その遊びの原資が一緒というのは、何とも楽しい話のように思える。ひとつの螺旋を描いていて、全てが良い方向に向いていくような気がする。

 というわけで、前の記事でも書いたことを再確認というか、もっと深い決意も含めてそうしたいと思いますというようなことを言いたいだけの記事でした。今後、そういう目線で色々な活動について考えていけば、また違う感覚で動けるのではないかと思っています。

 とりあえず、この土日は良い感じに遊んでしまったので、また仕事に趣味にと少しずつ頑張っていきたいと思います。