今日はこれです。「儚いダイヤモンド」。
この曲は、メロディこそ疾走感あふれていますが、いやあえてと言ったほうがいいのでしょうか、歌詞そのものは非常に後ろ向きな、救いのないものになっています。
この曲はアルバム「BIG MACHINE」の収録曲ですが、このアルバムには、感情を知らない機械(BIG MACHINE)である存在と、愛を知った生身の人間の対比、そんな系統の曲が多い気がします。この「儚いダイヤモンド」で描かれているのは、かつては人間だったけれども、時間の経過によって「他人の痛みなど 知るヒマもない」存在に成り下がってしまった人の話です。
歌詞の中で、「儚いダイヤモンド」について様々な例を用いて示されていますが、まとめると、社会的に財産とされているもの(地位・金・人脈 等々)を追い求めるあまり、何か大事なものを忘れてやしないかい?ということだと思います(特に、「確か いつか僕たちは同じ夢を見て・・・」のところに示されているような友情、もしかしたら、「愛のバクダン」や「love me,I love you」に示される、総体的な「愛」のことかもしれません)。
まあこれだけだと結構ありきたりな感じがしないでもないですが、私がこの曲を高く評価しているのは、そのテーマをしんみりと歌いあげるのではなく、あえて激しい曲調と声色で疾走感と共に歌い上げたことが理由です。
ひとつは、この疾走感が、あまりにも速い社会の流動を暗示しているということ。そしてもうひとつは、このスピード感が、ある意味この状態を肯定的に捉える意味合いを含んでいるのではないかという私の憶測によります。
私はすでに成人してかなりの年月を経験しましたが、必ずしも、子供の頃自分が思い描いていた人間になれているとは思いません。むしろ、「自分で一番嫌いなタイプになっている」ような気さえします。
しかし、この事実をもって、一体今何ができるのかということです。思い切ってリセットしてしまうという選択肢は存在するには存在しているのでしょうが、つまるところ、私たちはいかにぶっ壊れていようが、今の状態を認識して明日も生きていくしかないのです。もちろん、今までの自分を反省して少しずつ変えていく努力はするべきですが、ここまでやってきた行動、経験を昨日今日で一気になかったことにしてやり直すことなど到底できはしない。「忘れ物も思い出せ」なかろうが、立ち向かうべき明日は確実にやってくるということです。
そこまで考えた時に、私はこの歌を、ただのどうしようもない現状を嘆いたものではなく、「しかしそれでも走り続ける」という、非常に逆説的ではあるがポジティブなメッセージが込められた歌なのだと解釈し、とても好きになりました。一直線に破滅に向かって行くのは、非常に悲しく、また客観的に見ると滑稽な状態ではありますが、悲哀と勇気と覚悟が織り交じった、強烈にドラマティックな光景でもあるとも言えます。例えその要素全てが闇に向かって行こうとも、それが自分というパーソナリティを形作っているならば、その自分を全うすることが、「生きる」ことの意味のひとつなのではないでしょうか。そんなメッセージが、私には、最後の方の「どうなってもいい 怖いものなどない」という歌詞に集約されているような気がしてなりません。
今回はいつにも増して個人的な見解になってしまいましたが、あえて「状態」のみを描いているこの曲は、人によって大きく解釈が異なってきそうで、そういう楽しみ方ができる曲なのかもしれません。
ではまた、次回もよろしくお願い致します。
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