2012年9月16日日曜日

満月よ照らせ

 今日はこれです。「満月よ照らせ」。

 この曲のテーマはわかりやすいと思います。この曲のみならず、ACTIONには、前向き後ろ向き如何にかかわらず、自分のいたらなさ、「罪」と言い換えてもいいかもしれません、そういったものを自省的に歌う曲がとても多いです。ちなみに、私はB'zの中でも、このアルバムは、1・2位を争うほど好きです。

 この曲では、「君」に対して、友情の一環というか、じゃれあいというか、恐らくそういう軽い気持ちだったと思います。「無神経な言葉を」浴びせ、結果、「君」にも、「仲間」にも嫌われ、孤立してしまった悲しみを歌っています。

 この歌の主人公のしたことは、許されることではありません、いじめの構造というものは得てして加害者側は「たいしたことじゃないとさえも 思うことな」いものだと思っています。

 しかし、私は、この主人公は、罰を受け、深く反省し、「くだらない涙」を流している時点で、ある程度許せる存在なのではないかと思っています。一番許されないのは「手のひらを返すように すっかり冷たくな」った「仲間」なのではないかと思います。大体、主人公は「弱虫ゆえ 仲間に紛れ 無神経な言葉を」浴びせたに過ぎません。同じように「無神経な言葉を」、この「仲間」たちは「君」に浴びせていたはずなのです。

 要するに、この「仲間」たちは「僕」をスケープゴートにして、あたかも自分たちは罪がないかのように振舞っているわけですが、このへんの主人公の不器用さが稲葉節ともいいますか、許されないことをしながらも、歌詞の主人公として、感情移入するにあたって、肯定的に見られる要因となっていると思います。

 「僕」は、そんな仲間たちに対してなんでしょうか?「絶望の底に湧く怒り」を抱えながらも、それが倫理的に主張すべきでない感情であると知っているため、苦しみます。そして、「誰か(=君)の想い」にようやっと気づくわけです。

 自分の罪が発端となって、「僕」は、「あると思い込んでた友情はそこにはなかった」ことに気付きます。実際は、友情らしきものはあったんじゃないかなと思いますが、ここではその友情の脆さを訴えかけていると私は考えています。「笑える話じゃないか」と自嘲気味につぶやく様子と、満月の情景、そして稲葉さんの歌声が絶妙にマッチしているとおもいます。

 その次の歌詞で、「そんなことだらけ」だと歌っていますが、これは、案外、自嘲に沈むが故の、極端なネガティブってわけでもないような気がします。自分が仲がいいと思っている人間も、実は自分のことを鬱陶しく思っていたりというのは結構ザラです。もしかしたら、私達が信じている友情というものの多くは、実は建前という薄氷の上にかろうじて成り立っているものなのかもしれません。

 最後に、私がこの歌詞の中で、最も絶妙な表現だなと思った箇所を紹介します。それは、「目覚めていれば もうちょっと何かわかる…」の部分の、「目覚めていれば」という表現です。

 私も人とコミュニケーションをとるのが、決して得意な人間ではありません。むしろ、この「僕」のように、「無神経な言葉を」浴びせて、関係を破壊してしまうケースを頻繁に起こしています。
 その時のことを後から思い返してみると、その時の自分を表現しようとしたときに、しっくりくる表現が、「目覚めて」いなかったとしか言い様がないのです。なんというか、今はあの時よりも世界がよりクリアに見えているといいますか、まさに、「目覚めていれば もうちょっと何かわか」ったのに、という表現に落ち着くのです。もしかしたら、コミュニケーションにおいて大切な、人の機微を察するという能力は、こうした痛い経験を繰り返して養っていくものなのかもしれません。

 私事になりますが、私は、生きていく中で、何度もこのような経験をし、たくさん相手を傷つけ、関係を壊してきました。本当に、「いつまで このままなの」という声が聞こえてきそうですが、少しでも失敗から学び、「目覚め」を繰り返し、円滑なコミュニケーションをとれるように、また、「あると思いこんで」いるだけでない、真の友情を手に入れられるように、努力していきたいと思っています。