2014年1月29日水曜日

死にたい夜に

何をやってもうまく行かないときってのは、やっぱりあると思う。
そして、意味もなく消えてしまいたい、しかし胸は妙にうずく、そんな時もあると思う。
というか今がそれである。

こういう時、割と私はよく経験する。そして経験上、もう少し言わせてもらうのであれば、この状態の直接的な原因は、大抵寝不足である。
非常にざっくり極まりない考察だが、経験上、私は結局のところ、これにつきると思っている。

まあそれが頭でわかっていれば、じゃあ早く寝ろよという話だが、それもそううまく行かないのがこの状態の厄介なところで、割とエネルギー自体はそれなりに湧いてくるのである。だから、何だか色々とやってみたりする。しかし、注意力が散漫であり、結構イライラしたりもしたりしてるので、大抵のことはうまくいかない。うまくいかないと更にイライラする。イライラを解消しようとして何か別のことをしようとする。そしてそれもうまくいかない。うまくいった試しがない。泥沼である。

私は、そんな気持ちをBlogに書き、記録してみることにした。

何もかもがうまくいかない。思えば私の人生はそんなことばかりだったし、きっとこれからもそうだ。私には、決定的に、何か熱いものが足りない。どこか冷めている。そんな自分を哀れに思い、悲しんでいる。こう書くと何だか、いわゆる中二病を引きずっているようにも見えるが、実際引きずっているんだと思う。私には、この世界を本当に愛するきっかけがまだ訪れていない。

何かを、常に憎んでいるような気がする。それはこの世界だったり、自分だったり、他人をけしかける何かだったり、いろいろだが、常にむなしさを抱えているような気はする。

ただひたすらに、むなしさを抱えている。この先に何があるのか、正直もうどうでもよくなる。灰色の世界が、白い光の中に粉となって霧散していく。

何かにずっと縛られている。もうそろそろ解放して欲しい。自分は大空に飛び立てるとまだ思っている。そんなはずはない。鎖が、逆説的に自分の明るい未来を、今あるべきものとして感じさせてくれる。永遠に封印された明るい未来を。私は鎖を憎む。あるはずのない鎖を憎む。

きっとこの先に何もありはしないのだ。種火のようにぽっ、ぽっと時折発生する、何かを期待させる無責任な幻、それに私の瞳はチラチラ、チラチラと惑わされて、本質を見失っていく。ありもしない本質を見失っていく。

結局は、魂が熱く燃えるかどうかだ。そんな気もする。ぐっすり寝て、魂が回復したら、全てがうまくいくさ。なんて空しいんだろう。本質から遠ざかっていく。核となる幸せはどこだ。

今この心境だから見えるものがある。圧倒的な虚無と、自分の心が身体のどこにあるか、知らしめてくれる痛覚がある。心が痛んで、そのとき初めて、自分の心の位置がわかる。心とは、身体のどこかに、やはり物理的に存在するのか。

思ったことを口に出来ない。自分の口べたさ、社会的な誓約、気恥ずかしさ、自分ルール、そのようなあまたの要素が、私が思ったこと、口にすることに適当/不適当の判定を下し、私の心と魂を圧迫する。

全てに意味なんてない。意味はきっと魂の炎が決める。意味なんてない。魂はどこか別の次元に存在する。常に空虚だ。

眠い。全ての苦痛が、「眠気」に収斂していったとき、私は初めて安心できる。ようやく眠れるんだと。罪はきっと終わったのだ。罰は終わったのだ。

うまく行かない。何もかもがうまくいかない。私の人生は、こんなんじゃなかった。私が私に課した数多の試練は、今この状態のために用意されたものではなかった。

ひたすらに寂しい。私は世界から取り残された。心は切り離された。世界は、私を拒否した。

光。光が欲しい。光と温もりが。

思い切り泣きたい。残念なことに、私は泣くほど悲しくない。これがたまらなく悲しい。真綿で首をじわじわ締め付けられている。

この世は、残酷なまでに平坦なのに、一歩道を外れたら、そこには奈落が存在している。実際は存在していないのかもしれない。奈落は、臆病な私が想像した幻かもしれない。

不甲斐ない。私には何もできない。何も、何も出来ない。

死にたい。でも死ぬのは怖い。生きたくない。私は生きたくないんだ。